top of page

オタクか?プロか? ターニングポイントは『入力と出力のバランス』

現在高校二年生の娘が、今、ある大手劇団にどっぷりはまっていて、寝ても冷めてもミュージカル三昧!

部活のため、何ヶ月先のチケット購入ができないので、学校が休みの日は当日券を求めて朝から並んで観劇。さらには新作CDを購入したりyou-tubeの動画や、舞台のDVDを借りてきて日々、繰り返し視聴している。

もともとのご贔屓の俳優さんへの尊敬の念も強まり、最近ではファンレターを送ったり、インスタ(グラム)などのSNSでチェックしてその姿を追い続けたりとそのハマりぶりは親として面白がりながらも、時々苦笑い…。

「私、絶対にこの劇団に入る!』

好きなものにどっぷりと浸かる対象と出会える事はとてもラッキーな事だし、そういう何かにハマる時期があるというのは成長段階においても、人生を楽しむ上でもとても大切だと思う。

ただ、『劇団に入る情熱が失せてしまったら、ただのオタクになっちゃう?』と、ちょっと心配が頭をかすめることもある。

入団するもしないも、どちらも好きのパワーや情熱は変わらないのかもしれないが、“オタク” と “プロになること” は、何が違うのだろうか。

私の中の “オタク”の定義は、

『写真撮影やアイテムの購入など、物質で気持ちが満たされることでの 精神的な“入力”がメイン。コスプレだったり仲間内での満足の共有を主な活動とし、主に “萌え” ることが最大の“出力”行為。」

と感じている。 (個人的なイメージです。お許しを!)

しかし、一瞬心配はして見たものの、親の贔屓目かもしれないが、娘の心酔ぶりにオタク感は感じない。なぜか。それは入力と同時に、“萌え” る以外の出力も行なっているからではないかと思う。

舞台動画視聴やCD購入などの入力行為とすると、ダンスや声楽のレッスン、劇団に入るための進路探しなど、その憧れを現実にするための行動が出力、という考え方だ。

つまり、入力のみで個人の満足を満たすのではなく、入力したものを、自分の中で咀嚼し、磨き上げ、多いに出力すれば、社会における存在意義となり、本人にも家族にも社会にも喜ばれる人材=その道のプロになるのではないかと思う。

それはつまり、本人の幸せ。強いては子育ての目指すゴールではないかと思う。

では、子育てにおいてどういうアプローチをすれば、「オタクからプロへ」と導くことができるのだろうか。それは、またの機会にお話ししたい。

最新記事

すべて表示
bottom of page