ある教育現場から
公立小学校で3年間ほど、発達障がいのお子さんがいるクラスの支援をする機会がありました。ADHD(注意欠陥・多動性障害)や、学習障害(LD)、広汎性発達障害(PDD)。はたまた経済状況が大変厳しいご家庭のお子さんなど様々なお子さんと向き合いました。
私が採用されたばかりの頃は、勤務先の小学校も障がい児対応を始めたばかりで、
・その子ども達がなぜ席に座っていられないのか、
・何をきっかけにパニックを起こして暴れてしまうのか、
・暴れてしまった時はどうやって止めたらいいのか、
何をどう対処すべきか分からず学校全体で暗中模索しているという様な状態でした。
「怒るも叱るも、野村先生の好きなようにやっていただいて結構ですから…!」
教員免許はなく、子育てとキャスト経験しかない私に、
採用面接の時の担任の先生のこの言葉で、事態は相当に切羽つまっているんだということを理解しました。
(採用のタイミングもクラス替えをしてしばらくたった2学期でしたし…。)
そして、その実態は配属初日、教室に一歩入ってすぐにわかりました。
・雑巾やゴミ、教科書ノートなどが床に散乱、
・掲示物が古かったり破れていて、
・黒板はやたらに何かが貼ってある上、イタズラ書きは仕放題、
さらに、
・机の向きはバラバラで、椅子は何脚か倒れている。
それはそれは…な状態でした。
さらに、授業中の子ども達の様子も、
・ほとんどの子は授業中も机でうつ伏せていて、
・椅子の上で立て膝をしていたり、
・鉛筆を削るとか水を飲みに行くなどと言って、常時2〜3人は立ち歩いていました。
『さて、どこから手をつけようか…』
まず初めにしたこと。
それは、教室の ”環境整備”。
・休み時間ごとに、落ちたゴミや雑巾を拾い集め、曲がった机を一列に並べました。
・雑巾でもなんでも床に落ちているものは『落とし物入れ箱』を作って、そこに納め、
・破れたカーテンの修繕は学校に依頼しました。
始めのうちは「なにやってんだ?」という目でみていた子ども達。
しかし日常的に片付いている状態が続いていくと、子ども達自身が「キレイだと気持ちいい。」と感じるようになってきた様で、
「気持ちいい状態を与えてくれている人」=「私」に対して心を開いてくれるようなりました。
そして、能面のようにずっと無表情だった子も、
誰に対しても反抗的な態度をしていた子も、
私に対しては「おはよう」のあいさつが返せたり、逆に話しかけてきたりするようになってきました。
そして2週間も過ぎた頃、
クラスの一部の子が率先して机の並びを直してくれる様になり、教室も常に整理された状態になりました。
それと併せて、授業中の立歩きがなくなり、さらに私が背中を一本指でスッと触るだけで授業中の猫背がピッと伸びる様になりました。
すると、そんな変化と共に、
2学期が終わる頃には、当初聞いていたような、習字の墨汁を教室中に撒き散らしたり、
お友達をエンピツで刺す…といった激しい担当児童の問題行動が激減したのです。
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人はそれぞれいろんな辛さ、生きにくさを抱えていると思います。
特に、発達障がいに限らず、身体、精神など何かしらの障がいを持っていればなおさらです。
しかし、
・清潔な洋服を着て気持ちが良かったり
・おいしいものでお腹を満たしたり
・人に笑いかけられて嬉しくなったり
誰かの手で、人間としての「欲求」や「尊厳」が日常的に守られたら、それは「シアワセ」と感じられるのではないでしょうか。
そんな、ごくシンプルなことを念頭に置いておけば、専門家でないと対応できないと思っていたようなことでも、実はそんなに難しい問題ではなく、結構あっさりと解決できたりする事もあるのかもしれません。
これも、“魔法の王国”で学んだ優先順位、本当に大切なことはなんなのかと考えるクセが付いているからこそ、そんな風に考え、行動にできたのではないかと思います。
(写真はイメージです)